電気機器のしくみ
トーマス・エジソンの白熱電球と日本の竹
誰もが知っている発明王、エジソン。そんなエジソンの白熱電球に日本の竹が使用されたことをご存知でしょうか?本記事では、過去から現在に至るまでの、日本とエジソンの関係についてご紹介します。
エジソンの白熱電球に使われた八幡竹
日本の京都の竹が、アメリカの発明家、トーマス・エジソン(1847~1931年)が手掛けた白熱電球(※)の商用化に重要な役割を果たしました。 京都府南部の八幡市(やわたし)には石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)があり、その周辺一帯は整備された美しい竹林が広がっています。そこには「八幡竹」と呼ばれる高品質のマダケが自生しており、この八幡竹が19世紀末、白熱電球の実用化と世界的普及に特に重要な役割を果たしました。 アメリカの発明家、トーマス・エジソンは19世紀末白熱電球の最初の実用化を果たしました。しかし、当初、彼はその白熱電球のカギとなる光を放出するフィラメントとして最適な素材を見つけ出すことにとても苦労していたそうです。そんな中、たどり着いたのが八幡竹だとされています。
「当時、多くの研究者が白熱電球の開発に取り組んでいましたが、エジソンは1879年に木綿糸を炭化させたフィラメントで40時間の連続点灯に成功しました。これによってエジソンは大きな名声を得ますが、彼はそれに満足することなく、より優れたフィラメントを作るため、その後も6000種類もの炭化させた素材で実験を重ねたといいます」と、一般社団法人日本電気協会の常務理事を務める及川芳樹さんは語ってくださいました。 エジソンは研究を続ける中、たまたま研究室にあった扇子の骨に使われていた竹で実験をしてみると非常に良い結果が得られたため、フィラメントに適した竹を求めて世界各地に調査員を派遣しました。そして1880年、調査員の一人が探し当てたのが石清水八幡宮の周辺に自生する八幡竹だったのです。
(※)白熱電球:ガラス球内の発光部分(フィラメント)に電流を通じて白熱させ、その光を利用する電球。
なぜ日本の竹が使われた?
八幡竹は耐久性と柔軟性に富み、繊維が太くて丈夫、しかも引き締まっているという特徴を持ちます。さらに、簡単に焼き切れることもありません。そのため、エジソンは八幡竹をフィラメントとして使用し、連続点灯時間を1200時間にすることに成功しました。その上、節と節の間隔がちょうど良い長さで、まさにエジソンが追い求めた最適のフィラメントであったとされています。 こうして日本から輸出された八幡竹を用いて1881年頃から製造された白熱電球は大ヒット商品になり、1894年に新たなフィラメント素材が見つかるまでの間、世界中の人々の生活を明るく照らし続けることになりました。
現在も続くエジソンがもたらした交流
「日本においても、我々、電気の仕事に携わる者にとって、エジソンはすさまじい努力で白熱電球や、電力供給システムを発明するなど、最も偉大な人物と言っても過言ではありません。そんなエジソンの偉業を称え、彼の情熱を青少年や後世に伝えるため、1956年にエジソン彰徳会(しょうとくかい)が設立されたのです」と及川さんは語ります。及川さんはその会の常務理事でもある方です。 白熱電球の実用化に貢献した八幡竹の林の中心にある石清水八幡宮の隣接地に最初のエジソン記念碑が建立されたのは1934年のことで、その後、1958年に境内南側(現在地)に移転されました。そして、1984年には、エジソン彰徳会の手によって、記念碑は新しく建て直されました。 ちなみに、この記念碑建立が縁となり、八幡市はエジソンの生地、オハイオ州マイラン村と友好都市提携し、交流が続いています。
エジソン彰徳会では、記念碑の維持・管理のほか、エジソンの命日である毎年10月18日の前後に碑前祭(ひぜんさい)を執り行っているそうです。その日は、日米両国の国旗が掲揚され、在大阪・神戸米国総領事を始めとする米国の関係者も招かれ、献花が行われ、人々はエジソンの偉業を偲んでいます。 また、5年に一度は同様に命日前後に大祭が催され、エジソンの業績を紹介する冊子を地元小学生に配布するといった記念事業も実施しています。 日本の竹を使った、実用化では世界初の白熱電球が生まれてから140年余り、発明王エジソンを偲ぶ日米両国の交流は、今もそのゆかりの地で途絶えることなく続いています。
トーマス・エジソンの白熱電球と日本の竹 | August 2022 | Highlighting Japan
日本の京都府のタケの一種が、アメリカの発明家、トーマス・エジソンが手掛けた白熱電球の商用化に重要な役割を果たした。その概要を紹介。
出典:内閣府政府広報室が発行する海外向け政府広報誌「HIGHLIGHTING Japan」