現場レポート
年間売上1000万も夢じゃない!? 転職2回で“電気ドリーム”を掴んだ電気主任技術者のハナシ
転職で、まったく異なる業種に就いて、そこから活躍するのは簡単なことではありません。しかし、異業種から電気の世界に転職し、現在では年間売上1000万円を達成した電気主任技術者がいます。それが、九州電気管理技術者協会に所属する織田秀彦さんです。理容師と塾講師を経て電気の世界に飛び込み、66歳(2020年11月現在)になった今でも現役として活躍し、「仕事が楽しい!」と語る織田さんの“電気ドリーム”とは?
理容師を経て塾講師に。でも体調不良になってしまう…。
はじめまして。織田秀彦と言いまして、福岡県の八女市出身です。私の仕事は、学校や工場など、大きな建物の電気設備(自家用電気工作物)を点検や保守をすること。
私は今、66歳ですが、この仕事をはじめたのは40歳の時でした。
40歳から電気の仕事をはじめた理由については、大学時代に遡り戻ります。私はもともと機械が好きで、大学では電気を学んでいました。そして卒業後は機械関係の仕事に就こうと思っていたのですが、実家が床屋だったため、親から稼業を手伝うように言われ、理容師として働くことになりました。
働きながら理容師の免許を取得。同業として働く女性と結婚し、順風満帆かと聞かれたら、その通りだったと思います。ただ1つ難点があって、私は接客が苦手だったんです。お客さんに愛想よく接することができない。だからお店は嫁さんに任せて、別の仕事をしようと考え、勉強が好きだったから塾講師になろうと思い立ちました。そこから塾を開業し、小学生、中学生、高校生に勉強を教えていました。それが30歳の時です。
最初の5年は自分で塾を経営していましたが、諸事情により塾を閉じました。そこから、塾を経営している会社に雇われ、塾長として働きはじめたんです。5年ほど働きましたが、そこで身体を壊してしまって…。塾は夕方から授業が開始するので、勤務が終わるのは夜遅く。そこで体調を崩してしまった。それならば昼の仕事に就こうと思い、もう一度、床屋になろうと思ったのですが、さきほどお伝えした通り、接客がどうも苦手で。今後どうしようかと悩んでいたら、嫁さんが一言。「大学で電気の勉強をしていたんだから、電気に携わる仕事をしてみたら?」それだ!と思いました。
40歳で電気主任技術者として働きはじめる
たまたま大学の先輩が、電気設備の保守点検の仕事をしていたので、詳しく話を聞いてみることにしました。そこで、自営でできるし、長く続けられるよと言われ、一念発起。塾長の仕事を辞め、この仕事に必要な資格.第三種電気主任技術者を取得したのです。その時の私は40歳。この資格は、試験を合格しただけでは仕事ができず、経験を積まなければなりません。どこで経験が積めるだろうと仕事先と探していたところ、地元の大型スーパーが常駐の電気主任技術者を探していると分かり、早速履歴書を送付したところ、採用通知を手に入れることができました。
スーパーでは、電気以外の仕事もしましたよ。配管工事や水道管工事など、頼まれれば何でもしました。自分で言うのもなんですが、私はとても手が器用なので、人の作業を見て学んだら、次は自分で対応できるんです。この特技(?)のおかげで、職場では重宝されましたね。ここでの仕事は楽しかったなぁ。電気のことを学ぶのは好きだったので、合っていたんだと思います。床屋に戻らなくって良かった(笑)。やっぱり自分に合った仕事をした方がいいですね。
そのスーパーで、5年ほど経験を積み、電気主任技術者として一人立ちできるようになったので退職を決意。経験を積ませてくれた会社には申し訳なかったのですが、もともと経験を積んだ後は辞めるつもりでした。私の家系はみんな商売人。私にも商売人の血が流れていますから、会社員として働くのは性に合っていなかったのです。
会社を辞めてからすぐに、九州電気管理技術者協会に入りました。ここは個人でやっている電気主任技術者に、仕事を紹介する協会です。始めたばかりの人は、自分で仕事を取ってくるのは難しいことでしょう? そこで協会が代わりに仕事を紹介してくれるんです。そうした経緯を経て、今は高圧の電気設備の点検と保守管理の仕事をしています。
目標は88歳まで現役で働くこと! 電気主任技術者ならそれができる!
45歳の時に協会に入って、20年以上が経過しました。協会が定期的に、勉強会を開いてくれるおかげで、電気の勉強を継続できますし、困った時に相談にのってくれる先輩もいるので、心強いんです。
これから個人で頑張ろうと思っている電気主任技術者にオススメしたいことは、協会に入ったら、グループに入ること。九州電気管理技術者協会は個人の集まりですが、その中にいくつかグループがあり、私はISOというグループに所属しています。グループに入ると、勉強会に出席できますし、仕事の相談に乗ってくれる仲間にも出会える。いい仕事をするには、いい勉強を受けなければなりませんし、仲間がいるおかげで、仕事を続けられています。
また、この仕事をする上で大切なのは、電気の恐ろしさを理解していること。電気は感電の可能性がありますから。感電して入院した人を見舞いに行ったことがありますが、その時に話を聞いて、電気の怖さを実感しました。そして、お客さまを大切にしてください。私が点検しているのは機械ですが、コミュニケーションをとる相手は機械ではなく、お客さま。ですから、点検が終わったら、お客さまにきちんと説明し、納得いただくように心がけています。お客さまと話す時に、塾の先生のような口調で話しているからでしょうか、良好な関係を築けています。つまり、無駄な経験は何一つないということです。
仕事も楽しいですよ。寝る前に、明日はどんな電気設備を点検するのかと思うと、ワクワクします。私は今、66歳ですから、同級生はみんな定年退職しています。同窓会で会ったりすると、彼らは毎日することがなく暇だと愚痴を言うんです。それってつまらなくないですか?一方、九州電気管理技術者協会には、88歳になった今でも現役で働いている技術者がいます。その方は、今でも活き活きと働いている。私も88歳まで働きたいと思っています。給料面でも満足していますね。今は、年間売上1000万円を達成でき、お金の心配をせずに生活できていますから。
私にとって電気とはどんな存在か? そうですね~。変なことを言ってしまうんですが、小学校の頃、UFOを目撃したことがあるんです。笑い話に聞こえますが、私は真剣です。目の前にUFOが5~6機ほど現れ、音もなく空に消えていきました。その時、飛行機はガソリンで動いているから音がするけど、UFOは音がしなかった。だから、UFOは電気で動いているんだと思ったのです。そして、UFOは未来人だと直感しました。つまり、未来では電気を使って、モノを動かしている。未来人にとって電気は、動力。何が言いたいかというと、私にとって、電気とは未来の動力。そんな偉大なものを守る仕事ができて、本当に幸せです。
<織田秀彦さんプロフィール>
九州電気管理技術者協会所属。福岡県八女市出身。福岡大学で電気を学んだ後、稼業の床屋を継ぐため、理容師に。30歳の時に学習塾を開業し、40歳で第三種電気主任技術者の資格を取得。45歳の時に独立し、個人で電気管理業をはじめる。九州電気管理技術者協会福岡支部長としても活躍する66歳(2020年11月現在)。
<執筆>
野田綾子
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